ニートが本気出して学んでみた

四十路間近で、学校で学び直すことを決めました。その学びの記録を綴っていきます

生命に関する研究

今日は生命科学の授業で、この学問の歴史について学ぶ。

テーマは「生命とは」

 

<古代>

自然哲学(Natural Philosophy)

アリストテレス(紀元前384~322)・・・生物は全て霊魂を持っている。この霊魂を持っているか否かで生物と無生物を区別されると説く。

生気論「生命は、生気という非物質的な力が働くことにより営まれる」

自然発生説「無生物に上記の生気が吹き込まれることにより、生命が自然に発生するという説」(例:腐敗物からハエ、海への落下物から魚、落ち葉から虫、鳥など)

 

<中世~近代>

哲学者のデカルト(1596~1650)は、機械論という生命観を唱えた。「生命現象は全て機械論的に説明が可能であり、運動は力学により数学的に説明できる」とした。

体の各臓器を機械にたとえ、心臓=ポンプ、血管=ホース、筋肉や腱=ベルトと滑車、肺=ふいご、といったように置き換えられると説明した。さらに、人間は肉体に精神を宿した機械であるという「心身二元論」を唱え、同時に動物にはこのような精神が宿っていない「動物機械論」を提唱した(動物の行動は機械のようにプログラムされた通りに動いているだけであり、人間のように思考したり、感じたりはしないというもの)。

メトリー(1705~1751)は、「人間機械論」を提唱し、霊魂の存在を否定した。これはつまり、デカルトの動物機械論がそのまま人間にも適用しうるという生命観である。「足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉である」という一文が有名。この機械論から、生命現象は個別の要素に分解できるという考えに至り、物理学・化学的に説明しようという思考により研究が進んだ。結果、生化学や分子生物学の分野が発展することになる。

これら機械論的思想が広まる中、生命には機械では説明しきれない自律性などの固有性があるという考えが生まれる。ドリーシュ(1867~1941)は、ウニの胚の発生を分析すればするほど、機械論で説明することに限界を感じ、新生気論を唱えた。彼の新生気論は徹底的な批判を受けたが、この論に至るまでの疑問については古くから多くの研究者の研究対象となっており、発生学の発展に寄与した。

 

<生物とは>

現代における生物の定義は、

1.外界と区別する境界を持つ

2.自ら代謝する能力を持つ

3.自己複製が可能である

という三点を満たすものであるとされる。

境界を持つことの意義は、内部にて反応物質の濃度を高めることができ、化学反応を効率よく行うことができるという点が挙げられる。これにより、代謝と複製を効率よく行える。

<代謝によるエネルギーと物質の流れ>

動物のエネルギーの流れは、ガソリンを消費して動く車に似ていて、食べた物からエネルギーを得て生命活動の源としている。一方、物質の流れは、車とは全く異なる。食べた物が動物の血肉になるのに対し、車のガソリンがハンドルやタイヤになったりはしない。この物質の流れを調べたのが、シェーンハイマー(1898~1941)である。彼はアイソトープで標識した原子を含む餌をマウスに与え、その原子の流れを追った。その結果、摂取された原子がマウスの体の一部となり、元々体にあったものと同じ質量数の原子が外へ排出していることが分かった。これにより、体の構成物質は絶えず流動的に流れ、自分自身を作り変えているという動的平衡を示した。

<自己複製について>

1953年、DNAの二重螺旋構造を発見したワトソンとクリックの研究が有名であるが、彼らはこれに加え、核酸の分子構造と情報伝達の意義を示している。ここから、遺伝子の本体はDNAであり、これらが半保存的な複製を繰り返すことでコピーを作っていることが分かった。また、核酸の複製だけでなく、DNA→RNAの転写、RNA→タンパク質の翻訳の一連の流れ(セントラルドグマ)によって体を構成するあらゆるタンパク質を合成していることを発見した。

 

 

今回学んだことはこんなところ。

本当にただただ学んだことを淡々と羅列しているだけなので、特に締めの言葉もありません。今後もずっとこの調子でいきます。

 

では。