ニートが本気出して学んでみた

四十路間近で、学校で学び直すことを決めました。その学びの記録を綴っていきます

生命の誕生

今日は、地球上の生命の誕生について学んだ。

地球の誕生は約46億年前、最初の原始生物が誕生したのは、35~40億年前、28億年前に酸素発生型光合成細菌(シアノバクテリア)らしき生物出現、その後20億年ちょっと前にプロテオバクテリアが出現、その数億年後、真核生物が出現。酸素呼吸により大きなエネルギーを産生出来るようになったなった真核生物は、そのエネルギーを利用して多細胞生物に進化する(約10億年前、最初は海中植物)。これにより生物が複雑化、大型化、環境適応により、様々な生物へ爆発的な進化を遂げる。5~6億年前、現在の動物門を網羅する多様な生物が出現、4-4.5億年前にオゾン層が形成されたことに伴い、最初の陸上植物が出現し、それを追うように両生類が陸上進出を果たす。その後、海中、陸上問わず様々な生物が誕生し、約6000万年前に霊長類が出現したと言われている。現在の人類であるホモ・サピエンスは、約4万年前に出現した。

 

最初の有機物の生成

生物の誕生以前の問題として、生物を形成する有機物がそもそもどのようにして生成されたのかは現在でもはっきりとは分かってはいない。ユーリーとミラーは1953年、無機物から有機物の合成に成功し、かつての地球環境下で有機物が生成された要因の可能性を示した。

実験内容は、密閉した容器内を当時の地球環境に近いと考えられている高温高圧状態に保ち、同時に当時の地球に存在していた分子と言われるアンモニア、メタン、水素、水などを混合し、この状態で放電などの刺激を行った。すると、アミノ酸などの有機物が形成されることを証明した。これにより、当時の地球環境下で度重なる落雷や、海底の熱噴出孔付近での激しい外的要因により、次第に有機物が生成されていったと推測した。

このように、より複雑な物質が出来上がっていくことを、化学進化と呼ぶ。

 

有機物から生命へ

有機物が生成されたはいいが、ではそれがどのようにして生物になったかは、これまたはっきりとは分かっていない。

コアセルベート説・・・オパーリン(1894~1980)は、コアセルベートと名付けたコロイドに富んだ液滴により、生命の誕生を説明した。現在の生物に共通してみられる糖、脂質、タンパク質、核酸などの高分子化合物を水分子が覆うコロイドを作り、これらを激しく衝突させるなどすると、細胞のように境界を持ち、生物のような振る舞いをすると言った。具体的には、境界内部に独自の環境を作り出し、有機物を取り込んで濃縮し、化学反応を起こす。この反応が現在で言う代謝の原型となり、生物に発展したのではないかと考えた。現時点では最も有力な説。

ミクロスフェア説・・・フォックス(1923-1998)と原田(1927-2010)は、アミノ酸を原始地球環境に近い環境下に置くと、加熱重合でタンパク質に似たプロテノイドができ、さらに過熱溶解で細胞のような振る舞いをするミクロスフェアを生じさせた。このプロテノイド・ミクロスフェアは、脂質二重膜的な構造を持つと同時に増殖するという細胞のような特徴を持ち、触媒作用もあることから、これが生物の原型ではないかというミクロスフェア説を提唱した。

RNAワールド・・・ギルバートは、1986年、RNAは、それ自身がRNA合成の触媒として働くものがあることを発見し、これをリボザイムと名付けた。これにより、DNAが形成される以前の時代には、生物の基本的な活動がRNAに支配されていたとする考えを提唱した。その後、DNAを遺伝子媒体とする細胞に進化し、現在のDNAワールドが形成されたと考えられている。

DNAは、ホスホジエステル結合により鎖状につながったDNA鎖が、特定の塩基同士で水素結合して2本鎖を形成することにより、構造的に安定する。

細胞共生説・・・現在確認されている細胞小器官の一つであるミトコンドリア葉緑体は独自のDNAを持っている。マーギュリス(1938-2011)は1970年、ある細胞にプロテオバクテリアやシアノバクテリアが取り込まれ、共生するようになったことが始まりという考えを発表した。根拠の一つとして、これらミトコンドリア葉緑体には、細胞膜と同じ脂質二重膜を二枚重ねた膜で覆われていることが挙げられる。これは、取り込まれた際に宿主(という言い方が正しいかは分からないが)細胞の膜に包み込まれるようにして内部に入り込んだと考えることで、その可能性が高いと説明することができる。この説を覆す学説が今のところないので、最も有力な説として取り扱われている。

 

ドメイン説・・・ウーズ(1928-2012)は、地球上のすべての生物の大きな分類として、細菌、アーキア、真核生物の3つのドメインを提唱した。これは現在でも分類学上、最も大きな分類として扱われる。

アーキアは生物の進化の過程で最初に細菌と分かれたもので、真核生物はアーキアから進化したという考えが最も有力。

 

 

基礎化学

基礎の基礎。中学レベルのおさらいから、高校化学の基礎レベルあたり。

 

物質は、大きく純物質と混合物に分けられる。さらに、純物質は単体と化合物に分けられる。単体の中には同素体が含まれる。

混合物には均一なものと不均一なものに分けられる。

 

物質の分離

蒸留:液体を加熱して気化させ、再度冷やして液体に戻す方法

分留:液体同士の沸点の差を利用し、一方の物質だけを蒸留する方法

ろ過:ろ紙を使い、粒子の大きさにより固体と液体を分離する方法

クロマトグラフィー:吸着のしやすさ、親和性の差などを利用した分離方法

抽出:ある混合物に、特定の物質だけが溶解する溶媒を加え、選択的に分離する方法

再結晶:溶解度の差を利用し、液体を冷やして固体を析出する方法

昇華:固体を昇華させて気体にしたのち、再び固体にして分離する方法

 

粒子とは

・分子

・原子

・イオン

その粒子中にある構成物を素粒子という

・陽子

中性子

・電子

 

元素:それ以上、実験的に分離できない最小の構成要素という“概念”

原子:概念ではなく、実体のあるもの。

つまり、ある物質を構成している“種類”に着目するときは元素といい、実体のある“粒子”に着目する場合は原子という言い方をする。よって、「水は水素元素と酸素元素からなる」という言い方は正しいが、「水分子は水素元素2個と酸素元素1個から成る」は誤った言い方となる。

 

原子番号:陽子の数

質量数:陽子+中性子の数

元素によって、原子番号は決まっている。例えば、原子番号が3であればリチウムだし、6であれば炭素である。これは、中性子や電子の数がいくつに変化しようが不変である。

 

同位体:陽子数は同じだが、中性子数が異なるもの。言い換えれば、原子番号つまり元素の種類は同じだが、中性子数が異なるもの。同位体同士の性質にはほとんど差異は無い。

同素体:同じ元素で構成されていながら、性質の異なる単体同士のこと。これは、結合のしかたや結晶構造が異なるために起こる性質の違いである。

 

同素体同位体には、相互関係はない。たとえば炭素の場合、質量数が12の原子と13の原子がどういう割合で存在していようが、正四面体構造で原子が繋がっていけばダイヤモンドの性質を示すし、六角形の平面構造となり、その平面が何層にも重なり合えば黒鉛の性質を示す。

 

 

自然発生説

古代、アリストテレス(紀元前384~322)は、「生命はどのようにして誕生するのか」という問いに対し、まず生気論という考え方を見出し、その生気が無生物に宿ることで生命が発生するのだと説いた。これが自然発生説の始まりである。

アリストテレスが自然発生説を唱えてから実に2000年もの間、誰もこれを否定することなく、常識として信じられてきた(実際には異を唱える者はいたと思うが、証明はできなかった)。そんな中、1668年、レディ(1626~1697)の実験により自然発生説は大きく揺らぎ始める。レディは、肉片を瓶に入れ、瓶口を開放して放置すると次第に蛆が発生するが、布で覆って放置した場合は蛆が発生しないという事実を示した。これにより、肉片から蛆が発生するのは、自然に出てきているわけではなく、飛来したハエが産卵している結果に過ぎない、と結論付けた。ちなみに、レディはハエについて否定しただけで、すべての生物についての自然発生を否定したわけではない。ただ、これにより自然発生に疑問を投げかける研究が急速に進むことになる。

微生物の発見・・・レディの実験で自然発生説を否定する者が増える中、レーウェンフック(1632~1723)は、自らが開発した顕微鏡により、肉眼では見えない極小の生物(微生物)を発見した。レディの実験からわずか4年後の1672年のことである。これにより、要するに「レディの実験を行うことでハエの自然発生は否定できるかもしれないが、同じような実験をしても微生物が発生することは事実である」という自然発生説を再度主張する声が強まることとなる。

スパランツァーニ(1729~1799)は1765年、肉汁をフラスコに入れて十分に加熱した後、フラスコの口を溶接により完全密閉すると、その状態で長時間放置しても肉汁に微生物が発生しないことを証明した。これに対してニーダム(1713~1781)をはじめとする自然発生論者は、「生気とは空気に含まれているので、その空気を完全に遮断してしまえば生命が発生しないのは当然であり、自然発生を否定したことにはならない」と主張した。この主張を覆すことはこの時点ではできず、自然発生説の否定を決定づけることはできなかった。ただ、この頃はすでに自然発生説を否定的に考える論調の方が強かったとされる。

スパランツァーニの実験からさらに100年後の1862年パスツール(1822~1895)が白鳥の首型フラスコを使い、自然発生説を完全否定したことは、あまりに有名。彼はフラスコの先端部分をS字にカーブさせ、空気は取り込めるが空気中の塵や微生物は入ってこられないという状況を作り出し、あとはスパランツァーニと同様に肉汁を加熱処理するという実験を行った。加熱後、この状態で長時間放置しても微生物が発生しなかった。これによりかつてのニーダムらの主張を覆した。長きにわたる自然発生説の論争にピリオドを打ち、「生命は生命からしか生まれない」という現代では当然のこととして認知されている「生物発生説」を証明したのである。

同時に、彼らの行った研究結果は、現代における食品の保存や滅菌などに広く応用されており、その功績は計り知れない。

 

以上、自然発生説について今回学んだこと。

 

余談だが、1862年になってようやく自然発生説を完全否定したという事実は、個人的にはとても興味深い。1862年と言えば、日本においては幕末の動乱真っただ中、アメリカでは南北戦争の最中であり、蒸気機関を搭載した装甲艦(いわゆるペリーの黒船)が浦和に来たのは、10年近くも前の1853年のことである。そして、自然発生説を否定した翌年の1863年早々には、ロンドンで地下鉄が開通している。これだけ科学技術が発達していた時代において、自然発生説が依然として否定しきれなかったのだ。

100年後にももしかしたら同じようなことを言われているかもしれない。どういう方向へ行くかわからないが、たとえば

「すでにネットワークが世界中に張り巡らされていた時代に、臓器移植では他人の臓器を使ってたんだよな、、、」とかね。はたまた、この発展速度が逆転するのか。

そんな日が来るかもしれないと考えると、ちょっと未来が楽しみになる。

 

生命に関する研究

今日は生命科学の授業で、この学問の歴史について学ぶ。

テーマは「生命とは」

 

<古代>

自然哲学(Natural Philosophy)

アリストテレス(紀元前384~322)・・・生物は全て霊魂を持っている。この霊魂を持っているか否かで生物と無生物を区別されると説く。

生気論「生命は、生気という非物質的な力が働くことにより営まれる」

自然発生説「無生物に上記の生気が吹き込まれることにより、生命が自然に発生するという説」(例:腐敗物からハエ、海への落下物から魚、落ち葉から虫、鳥など)

 

<中世~近代>

哲学者のデカルト(1596~1650)は、機械論という生命観を唱えた。「生命現象は全て機械論的に説明が可能であり、運動は力学により数学的に説明できる」とした。

体の各臓器を機械にたとえ、心臓=ポンプ、血管=ホース、筋肉や腱=ベルトと滑車、肺=ふいご、といったように置き換えられると説明した。さらに、人間は肉体に精神を宿した機械であるという「心身二元論」を唱え、同時に動物にはこのような精神が宿っていない「動物機械論」を提唱した(動物の行動は機械のようにプログラムされた通りに動いているだけであり、人間のように思考したり、感じたりはしないというもの)。

メトリー(1705~1751)は、「人間機械論」を提唱し、霊魂の存在を否定した。これはつまり、デカルトの動物機械論がそのまま人間にも適用しうるという生命観である。「足は歩く筋肉であり、脳髄は考える筋肉である」という一文が有名。この機械論から、生命現象は個別の要素に分解できるという考えに至り、物理学・化学的に説明しようという思考により研究が進んだ。結果、生化学や分子生物学の分野が発展することになる。

これら機械論的思想が広まる中、生命には機械では説明しきれない自律性などの固有性があるという考えが生まれる。ドリーシュ(1867~1941)は、ウニの胚の発生を分析すればするほど、機械論で説明することに限界を感じ、新生気論を唱えた。彼の新生気論は徹底的な批判を受けたが、この論に至るまでの疑問については古くから多くの研究者の研究対象となっており、発生学の発展に寄与した。

 

<生物とは>

現代における生物の定義は、

1.外界と区別する境界を持つ

2.自ら代謝する能力を持つ

3.自己複製が可能である

という三点を満たすものであるとされる。

境界を持つことの意義は、内部にて反応物質の濃度を高めることができ、化学反応を効率よく行うことができるという点が挙げられる。これにより、代謝と複製を効率よく行える。

<代謝によるエネルギーと物質の流れ>

動物のエネルギーの流れは、ガソリンを消費して動く車に似ていて、食べた物からエネルギーを得て生命活動の源としている。一方、物質の流れは、車とは全く異なる。食べた物が動物の血肉になるのに対し、車のガソリンがハンドルやタイヤになったりはしない。この物質の流れを調べたのが、シェーンハイマー(1898~1941)である。彼はアイソトープで標識した原子を含む餌をマウスに与え、その原子の流れを追った。その結果、摂取された原子がマウスの体の一部となり、元々体にあったものと同じ質量数の原子が外へ排出していることが分かった。これにより、体の構成物質は絶えず流動的に流れ、自分自身を作り変えているという動的平衡を示した。

<自己複製について>

1953年、DNAの二重螺旋構造を発見したワトソンとクリックの研究が有名であるが、彼らはこれに加え、核酸の分子構造と情報伝達の意義を示している。ここから、遺伝子の本体はDNAであり、これらが半保存的な複製を繰り返すことでコピーを作っていることが分かった。また、核酸の複製だけでなく、DNA→RNAの転写、RNA→タンパク質の翻訳の一連の流れ(セントラルドグマ)によって体を構成するあらゆるタンパク質を合成していることを発見した。

 

 

今回学んだことはこんなところ。

本当にただただ学んだことを淡々と羅列しているだけなので、特に締めの言葉もありません。今後もずっとこの調子でいきます。

 

では。

入学式

4月の何日だったかもはや忘れたが、入学式へ行ってきた。

「令和四年度○○専門学校入学式」と書かれた看板(?)の横で、思い思いのポーズで記念撮影をしてた若者達の顔を見て「あ、そうか、多くの学生は高校を出てすぐ入学してくるんだよな」という当たり前のことを再認識したよ。同時に、自分が20年遅れて入学するおっさんであることを再認識し、身の引き締まる思いだった。

式典では、どこか他人事な気分だった。「ご入学おめでとうございます」を登壇した人からは連発され、おっさんの僕には無縁だな、と。

「皆さんはここで学び、これからの長い人生を~」「若い皆さんには無限の可能性が~」というエラい人達からの祝辞があり、「君たちはどっかの気持ち悪いおっさんみたいになるなよ」と割りと真剣に思っていた。そしてここでも、みんなは18、19歳で学ぶことを僕は40歳手前で学ぼうとしているんだという、とてつもないビハインドを再認識することとなる。

 

なんにしても、これからは本気で学ぶんだという、決意をより固める式典となりました。

 

 

専門学校へ入学しました

はじめまして。私、しがない元ニートの39歳です(今もニートみたいなもんだけど)。来年には四十路に突入します。

そんな私、ニートを脱し、一念発起して学び直すことにしました。

今回はちょいと本気でして、なんと専門学校へこの春入学したのです。入学してからもう半年以上経ってるんだけど笑。

専攻は生物化学系です。

ここのブログでは、今の学校で学んだことを淡々と綴っていこうと思います。自分自身の備忘録的な意味も含めて。入学したときからの内容になるので、だいぶタイムラグがありますが、まあ、気にしないでよ。

 

マジで本気で学んでいきます。